藤井屏風との出会いは、前科研での調査(2016年9月)に遡ります。大垣市郷土館の展示で初めて見て、近代以降も「関ヶ原合戦図屏風」が描かれていることを恥ずかしながら初めて知りました。その後、小林清親「川中島合戦図屏風」(静岡県立美術館所蔵、https://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/collection/symphony/shirabe/pt2_03.php)の存在を知りました。
藤井屏風については、まず作者の藤井介石の謎が大きく、情報が錯綜しています。現在も情報収集中ですが、なかなか手がかりが得られません。図像については、何を典拠としているのか、図像にどこまで意味を持たせようとしていたのか、さまざまに議論いたしました。また介石が関ヶ原町出身だけあって地理の正確さは定評があるところです。現在はないものの当時は存在していた池を描いているなど、なるほどと思わせられました。末筆になりましたが、1月に引き続き今回も大垣市郷土館の早野壽人館長様、大垣市教育委員会文化振興課主事の二宮理紗様、奥の細道むすびの地記念館学芸員の上嶋康裕様に御参加いただき、貴重な情報を賜りました。篤く御礼申し上げます。(文責:堀 新)
以下の画像は①②当日の様子、③④藤井屏風(『決戦関ヶ原大垣博特別展』図録より)




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